P.シェファーさんの戯曲「アマデウス」。映画化もされたけど、日本の舞台では、9代目・松本幸四郎さんがサリエリ役をライフワークの一つとしていることでも有名だ。僕ら夫婦も何度か観に行ったことがある。さすがに圧倒的ですばらしい舞台だった。
敬虔なキリスト教徒で高名な音楽家・サリエリ。しかし品性のかけらもない若者・モーツァルトの音楽を聴いてがく然とする。アマデウス(神に愛されし者)の名のとおり、神がかり的な才能を発揮する下劣なモーツァルト。信心深いサリエリに与えられた才能は「たった一人、モーツァルトの音楽の真価を理解できること」だけ。なんと言う神の皮肉! サリエリは、モーツァルトを経済的・精神的に追いつめ、破滅させることで、神への復讐を果たそうとする。モーツァルトが死に、完全に勝利したはずのサリエリ。しかし、後に残ったものは、自分の凡庸な音楽と、世間の虚しい賞賛の声だけ。絶望の中、年老いたサリエリは、神への最後の復讐を試みる....
この中で、「モーツァルトは神の笛」というセリフが出てくる。神様はモーツァルトという笛を吹いて、天上の音楽をこの世に奏でる。笛が壊れかけ、つまりモーツァルトが病魔に侵され、死の危険にさらされようとも、神は笛を吹くことをやめない。モーツァルトは命を削りながら作曲を続ける。「モーツァルトは神の笛」とは、神の無慈悲さ・呵責さを表す印象的なセリフだ。
アテネ五輪野球の日本代表監督・長嶋茂雄さんが倒れられて以来、マスコミは連日この話題で持ちきりのようだ。ニュースを見るヒマのない僕でも、電車の中で他の人が読むスポーツ紙や夕刊紙の見出しはイヤでも目に入る。あと5ヶ月後に迫ったアテネ五輪。長嶋さんが回復してくだされば、もちろんそれに越したことはない。だが、「長嶋ジャパン以外は考えられない」というようなかたくなな声を聞くにつれ、「モーツァルトは神の笛」というセリフが記憶によみがえった。また、前阪神監督の星野さんを擁立しようと主張しているタレントもいるようだ。星野さんにしろ、健康上の不安があったから昨年で監督を辞任されたはず。これも「神の笛」だ。もちろん吹こうとしているのは神様ではない。だがこの呵責さは神様に似ている。
posted by Honeywar at 22:56| ☁|
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演劇
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