2013年05月04日

『八重の桜』展

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3日、江戸東京博物館の特別展『八重の桜』を観てきました。

今、夫婦でハマっている大河ドラマ。会津戦争の一ヶ月に及ぶ篭城戦を支えた射撃手・砲術手、同志社大の設立に関わり、看護婦として日清・日露に従軍し看護婦の地位向上に貢献した「ハンサムウーマン」・新島八重さんの生き様は、もちろんすばらしい。

…のだけど、我が家的にはこの展示のクライマックスは、孝明天皇が会津藩主・松平容保に送った自筆の手紙「御宸翰」[ごしんかん]と和歌二首「御製」[ぎょせい]。

「ポエムつきラブレター」というたとえをした人がいるそうだけど、うまい表現だと思う。何の関係もないこちらまで、読んで胸が熱くなるものがあった。

御宸翰は、文久3年(1863年)・八月十八日の政変の成功に関する感謝状。政変の相手方(三条実美ら攘夷派の公家と長州藩)については「宮中で暴論を述べて堪え難いほど心を痛ませた」というような言い方で、誰とははっきり言わず曖昧な表現をしつつも、天皇自らが命令を下して排除させたことは、はっきりと書き、外部に自筆の手紙で伝えるところ、明らかに異例なこと。それほど、この手紙を送った相手である容保への信頼が厚かったのだろう。

和歌のほうには前書きを含めて武士[もののふ]という言葉が二度出てくる。「武士の忠誠のこころ」「武士とこころ合わして」。武士一般を指すはずはない。会津藩の武士全体である可能性もあるが、直接顔を合わせた容保個人を指す、と僕には読めた。落葉も紅葉もしない「松」は、変わることのない武士の忠誠心の象徴でもあるが、「松平」の一字とも読める。

曖昧で、はっきりとした書き方ではないけれど、そう考えたほうが、熱い。


【孝明天皇 御製】
たやすからさる世に武士[もののふ]の忠誠のこゝろをよろこひてよめる

和[やわ]らくも たけき心も 相生[あいおい]の 松の落葉の あらす栄へむ
武士と こゝろあはして いはほをも つらぬきてまし 世々のおもひて
posted by Honeywar at 21:07| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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