2009年06月14日

三沢光晴選手の殉職

2009-06-13_三沢光晴.jpg
 昨夜、ネットのニュースを見ていた妻が息を飲んだ。プロレスの三沢光晴選手が試合中に頭を強打して心肺停止に陥り、そのまま亡くなったニュースだ。僕も呆然とした。

 三沢選手の試合はナマでも何度も観ているし、好きな選手だった。妻とも、ジャイアント馬場さんがご存命中に、全日本プロレスの武道館大会を一緒に観戦している。
20080809広島_02_市民球場ネット裏

 広島のグリーンアリーナの小アリーナでのできごとというから、昨年V6のコンサートを観たここのすぐ近く、ということになる。

 タイガースープレックス、タイガードライバー、エルボー、フェースロック、ダイビングネックブリーカードロップ....数々のオリジナル技でマットを席巻した強いレスラーだった。しかし、ただ強いばかりではない。

 自分の勝利だけを目指す純粋な格闘技であれば、「なるべく相手の技は受けない。一方的に自分の技を相手にかける」ことを良しとする。

 しかし三沢選手は、ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレスの門下。「相手の技もきちんと受け、体を張って試合を盛り上げ、そこから挽回して勝つ」ことが求められる、高度なエンターテインメント。ド芸能と言ってもいい。それがプロレスだ。「王道プロレス」などという言葉もあった。

 三沢選手はまさに「王道プロレス」の体現者だった。

 以前住んでいた千葉県松戸市で、90年代の初め、僕は三沢選手の試合を観ている。

 一つはタッグマッチで、ジャンボ鶴田選手からバックドロップ4連発を受けて敗れた試合だ。三沢選手の投げられっぷりは、それはそれは見事なもので、柔らかい身体を「く」の字にして、まともに鶴田選手の技を受けていたのが強烈に印象に残っている。

 YouTubeで見つけた鶴田選手の映像だが、このうちのいくつかは、その松戸大会のものではないかと思う。



 翌年だったと思うが、やはり松戸大会でのこと。トイレに行こうとした僕は、間違って選手の控え室の方に紛れ込んでしまい、三沢選手を目撃した。三沢選手はケガをしていたらしく、タッグパートナーの菊地選手が手伝って、バンデージを肩・腕に巻きつけているところだった。声をかけるのもはばかられ、僕はそっとその場を離れた。

 満身創痍の状態で、体を張って、僕たちを楽しませてくれた、強い強いレスラー。三沢選手の死は、まさに殉職だ。

 慎んで三沢選手のご冥福をお祈り申し上げます。
posted by Honeywar at 23:41| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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