2009年03月19日

灰田勝彦さん「お玉杓子は蛙の子」

2009-03-08_灰田勝彦
 主に第二次大戦前後にアイドル的な人気を博した歌手・灰田勝彦さんの1940年のヒット曲。今、我が家では、この世界初(たぶん)の「本格・脱力系・ジャズ・ハワイアン」が大ヒット中。それにしても、この歌詞の著作権がバリバリ生きているって、知ってました?

1.発見

 妻のマイブームはYouTubeでの古い歌謡曲探索。あるとき、主に第二次大戦前後にアイドル的な人気を博した歌手・灰田勝彦さんの「新雪」を聞き終わると、関連する動画の中に気になるタイトルを見つけたらしい。

「お玉杓子は蛙の子」灰田勝彦

 「お玉杓子は蛙の子」って、あの「お玉杓子は蛙の子」? なんで第二次大戦前後のアイドル歌手がそんな歌を....?

 こんな気になるタイトルを見かけたら、誰でもクリックせずにはいられない。妻は実際クリックした。そして、流れてきたメロディーに驚愕! 歌詞はまぎれもなく「お玉杓子は蛙の子」。だけど、あのおなじみのメロディーではない。ハワイアンだ! しかも歌詞は4番まである。こんなの今まで聴いたことない。なんなんだ、これ?

 と、突っ込みたい気持ちはヤマヤマでも、灰田勝彦さん、特にふざけた様子もなく、むしろクールに淡々と・まるで当り前のことのように見事な甘い歌声を響かせ、曲は軽やかにズンズン進行。もともとハワイアン畑出身の灰田さんの歌唱はそれはそれは堂に入っていて、突っ込むスキを全く与えてくれない。笑いと感動と幸福感と疑問に包まれながら、黙って終わりまで聴くしかない。

 妻は、当然即座に僕に通報。そして、僕も同じように、笑いと感動と幸福感と疑問に包まれることになった。





 なんなんだ、これは。当然調べましたよ。今、僕はちょっとした「お玉杓子は蛙の子」博士だ。以下、研究成果発表。

2.どっちが先?「リパブリック賛歌」と「ナ・モク・エハ」

 まず、僕たちが普通知っている「お玉杓子は蛙の子」のメロディー。オリジナルはアメリカ民謡の「リパブリック賛歌」。南北戦争のころ既に、北軍(リンカーン支持派の方ね)の行進歌として歌われていたものらしい。

 このメロディーは、小学校のころ習ったワザとらしい友情強要歌(笑)「ともだち賛歌」をはじめ、「太郎さんの赤ちゃん」「おはぎの嫁入り」そして「ヨドバシカメラの歌」など、さまざまな替え歌が存在することでも有名だ。オリジナル形式や、これらの替え歌のさわりは、こちらで試聴可能。しかし、この中に「おはぎの嫁入り」は含まれていないし、もしかしたらまだまだ他にも存在するのかもしれない。(よく見るとここにも、灰田勝彦さんバージョンは含まれている。)

 これらの替え歌をざっと眺め渡しても、中でも僕たちに最もなじみ深いのが「お玉杓子は蛙の子」ではないだろうか。

 さて一方、灰田勝彦さんのハワイアンバージョン。メロディーは、ハワイ民謡の「ナ・モク・エハ」。もちろん、オリジナルの歌詞内容は「お玉杓子は蛙の子」とは全く関係ない。つまりこのバージョンもやはり替え歌らしい。そしてアレンジは純粋なハワイアンではなくて、ミュートトランペットをフィーチャーしたジャズ風の要素も加えられている。さらによく聴くと、後半の間奏、ミュートトランペットで演奏されているのは、どうやら「リパブリック賛歌」のフェイクのようだ。

 さて、ではこのハワイアンバージョンと、おなじみの「リパブリック賛歌」バージョンは、元々どちらが先だったのだろう。

 調べ始めると、この歌詞にはちゃんと作詞者の表記がある。これがまず意外だった。今川一彦さんと東辰三[あずま・たつみ]さんの共作。今川さんについては詳細不明だが、東辰三さんは「港が見える丘」などで有名な方らしい。かなりのビッグネームだ。

 そしていろいろ調べるうちに、ついに決定的なエピソードを発見! 結論から言うと、「灰田勝彦さんのハワイアンバージョンが先。リパブリック賛歌バージョンが後にできた(たぶん自然発生した)もの」らしい。

3.作詞者発見
 
 まず、さっき書いた作詞者表記。「今川一彦さん・東辰三さん」の共作、というのは間違い(なぜこの間違いが生じたかは不明なようだが)。

 正しくは「永田哲夫さん・東辰三さん」。2002年に正式に著作権表記が訂正されたそうだが、まだネット上で多くのサイトに間違った表記が残っている。

 永田哲夫さんは、灰田勝彦さんがボーカルを務めたハワイアン・バンド「モアナ・グリークラブ」のギタリスト。灰田さんがハワイ民謡「ナ・モク・エハ」のメロディーに日本語詞をつけることを永田さんに依頼し、永田さんが2番まで作詞した。

 この2番、おなじみの1番と同じく、「’誰もそんなこと聞いちゃいない’あるいは’そんなこと間違えるはずない’ような突飛な命題を提示し、ご丁寧に証拠をあげて論証する」(笑)という形式になっている。そして2番の命題というのは「でんでん虫はサザエの孫ではない」。

 そして永田さんが挙げたその証拠は「海に入れたら死んじまう」だったそうだ。

 自信満々だった永田さんに対し、灰田さんが「死ぬのはまずいだろ」とダメ出し。それで永田さんがヘソを曲げて続きの作詞を放棄してしまったため、灰田さんは続きを東辰三さんに託した。それで、2番のオチは現在の形になり、以降、4番までを東さんが作詞した、というのが経緯らしい。

(以上のエピソードの出典はこちら。)

 そうなんです。改めて結論づけると、元々ハワイ民謡に当てて作詞された歌詞なのだから、「灰田勝彦さんのハワイアンバージョンが先」。

 永田さんが経緯を明らかにし、2002年に著作権表記が訂正された後、永田さんご自身は翌年に亡くなったそうだ。日本の法律では作者の死後50年間著作権が保障されるので、「お玉杓子は蛙の子」の歌詞は、後44年ほどは著作権がバリバリ生き続ける作品だったのだ。

4.ハワイアンバージョン絶賛

 さて、疑問は一応解けたのだが、まだ書き足りない。以下は私見による論評。

 まず、灰田勝彦さんのハワイアンバージョンについて。すばらしい。民謡を原曲としながらも、歌詞・歌唱・アレンジにおいてさまざまな要素が付け加えられ、完全にオリジナルな世界が作られている。民謡には著作権はないから、法律上もこのやり方は全く問題ない。

 原曲の歌詞は、ハワイの4つの島の美しさを讃える、というような内容だそうだが、それをそのまま日本語に訳しても、これほどの楽しさは味わえないだろう。灰田さんの歌唱は、コミカルな歌詞内容に流されることなく大真面目で、それが逆におもしろさを倍加させるとともに、ヘタな突っ込みを許さない品格を醸し出していると思う。純粋なハワイアンアレンジではなく、ジャズ風の要素を加え、さらに本来は全く関係がない「リパブリック賛歌」を盛り込んだ工夫もよい。疑問が解決した今、笑いと感動と幸福感に包まれて聴くことができる。

 ところで、「お玉杓子は蛙の子」が発表されたのは1940年。太平洋戦争の開戦まであと1年。既に日中戦争は進行中。大変なご時勢だったのに、この能天気さ。さらに太平洋戦争開戦後、1942年に灰田さんは、清新な叙景歌「新雪」で甘い歌声を響かせたので、「軟弱だ」ということで当局からニラまれたらしい。この「空気読まない」感じがすばらしい。長いものに巻かれてばかりいる必要はない。

5.歌詞絶賛

 もう一つ、この歌詞(特に、おなじみの1番)についてもぜひ称えておきたい。

 元々はハワイ民謡に当てられた歌詞が、なぜ「リパブリック賛歌」と結びつくことになったか、その経緯は定かではない。

 思うに、この1番の歌詞には、「思わず歌いたくなるような、どうしようもない魅力」があるのではないか。しかし灰田さんのような歌唱技術もない一般市民には、ハワイアンでは歌いづらい。で、より歌いやすく、灰田さんバージョンの間奏にも取り入れられていた「リパブリック賛歌」との結びつきが自然発生して、作詞から60年を超えてなお、広く定着しているのではないか。あくまで想像だが。

 また、この歌詞に著作権があることを意外に感じるのは、「人が作ったもの」「人工物」というニオイが全く感じられないからだろう。それこそ民謡のように自然に湧き出たもの、いわば「古典の風格」が最初から備わっているように思う。それで灰田さんの歌唱技術とあいまって、単なるコミックソングではない、独自の品格をかもし出すことになった、と。

 蛇足だが、2番のオチは、やっぱり東辰三さんが補作詞したバージョンが正解だと思う。死んじゃうのは、やっぱりまずいだろ(笑)

【おまけ・灰田勝彦さん「新雪」】


posted by Honeywar at 00:36| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 名曲選 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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